親身の復旧支援、
事業の継続で恩返し
西日本豪雨、増水で橋も崩落
広島駅からJR芸備線で30分ほど、広島市安佐北区に株式会社トーヨープロトはある。敷地内に3つの工場を構え、プラスチック製品を製造している。最寄りの上深川駅より1つ先の狩留家駅から三次駅までの区間は2018年7月から1年以上も運休している。同年6月28日から7月8日にかけて降り続いた西日本豪雨(平成30年7月豪雨)で鉄橋が落下したからだ。
特に雨脚が強くなった7月6日(金)、駐車場にたまった雨水をポンプでくみ上げていたが、横を流れる三篠川が増水して捌け口がなく、焼け石に水だった。20時頃には事務所に浸水し始め、代表取締役の茶木田由香さんと社員1人が帰宅の準備をしていると、一気に水位が増した。「シャッターがガタガタ揺れ雨水がすごい勢いで浸入してきたので2階に避難しました。たった15分の間にがらりと状況が変わりました」。
茶木田さんは家族からの連絡で会社から50mほど先にある鳥声橋が崩壊したのを知る。橋の向こうは石堤防で整備されていたのに対し手前は土堤防だったので、同社側に水が流れ込んだ。「倉庫の2階から工場をのぞくと水位は130cmほどになっていて、プラスチック原料や製品などが浮いている。キュービクルや成形機7台、フォークリフト2台、トラック・商用車各1台も浸水していました。でも不思議に絶望感や恐怖感はなく、工場を片づけることばかり考えていました」。
翌朝、水位は50cmほどになり、茶木田さんらは土砂崩れなどを回避しながらようやく帰宅した。「その日は自宅で過ごそうと考えていましたが、お客様や経営研究会の仲間、電気管理技術者といった方々から連絡があり今から応援に来てくれるというのです。何から始めればよいかわからずにいましたが皆さんの思いに突き動かされ、すぐ会社に戻りました」。土日で約20人が駆けつけ7月9日(月)には電気が復旧した。
それから2週間、ひたすら駐車場に備品などを運び、洗い続けた。パソコンも水没し受注内容やメールも確認できない状況の中、連絡が途絶えたことを心配し、直接工場を訪れる顧客もいた。事情を理解してもらい倉庫に保管していた在庫の中で提供できるものを納品した。そのときは、紙を借りて請求書をつくり、車は親戚から借りるなどして地道に事業再開を目指した。
こうしてたくさんの人から理解と協力を得て6カ月後の12月末、完全復旧した。茶木田さんは周りへの感謝をこう話す。「皆さんへは事業を継続することで恩返しします。人の役に立つモノづくりを続けるのです。ほかの地域で何かあったときは皆で駆けつけようと社員と話しています」。
2019年8月の台風10号では大きな被害はなかった。今年の10月下旬には芸備線も開通を予定しており、町全体でも復興の兆しが見えている。
県内各地から安佐北区を訪れるには、橋を渡ったり土砂崩れが発生した道を通ったりしなければならず、工場が浸水した翌日の昼頃まで同地区は陸の孤島状態だったそうです。茶木田さんは、かろうじて営業していたコンビニに寄ると、ほとんどの商品が売り切れていたため、応援にいらした方々からの差し入れが本当にありがたかったと振り返ります。
今回の豪雨被害を経験し、日頃の備えが重要だと感じた茶木田さん。「工場での備蓄や保険の加入はもちろんのこと、お客さまにご迷惑をかけないためにもパソコンのデータをクラウド上で管理しておくこと。また、災害時のマニュアル作成など、普段は目の前の業務に追われて気づかなかった備えの重要さを学びました」と話してくれました。