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滋賀県近江八幡市

人口82,432人※2013年12月1日現在
面積177.39km²
市HPhttp://www.city.omihachiman
.shiga.jp/

近江八幡市ニューストピックス

2014/1/20
本編を公開いたしました。
2013/11
取材を行いました。

商人のまちは環境のまちへ

滋賀県中部、琵琶湖東岸に位置する近江八幡市。2010年3月、旧近江八幡市と旧安土町が合併し現在の市域となる。歴史をみると、織田信長が安土山に、豊臣秀次が八幡山にそれぞれ築城、安土城址は国の特別史跡となっており、八幡山下では、買い手よし・売り手よし・世間よし(三方よし)を商売の基本理念とした「近江商人」の拠点となった。

美しい堀を取り戻す


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よみがえった八幡堀
天下統一をめざした織田信長が、その拠点とした安土城は、1582年本能寺の変の後、焼失、廃城した。その後1585年、豊臣秀次が八幡山城を築き、その城下町に安土城下の住民を移住させた。この城下町を開く際、城の外堀としてつくられたといわれる八幡堀は、琵琶湖と結ばれ、全国各地から人や物が集まり、活気に満ちあふれ、昭和中期頃までは、大きな船が行き交い、子どもたちが水泳や釣りを楽しむ憩いの場としても機能していた。しかし、陸上交通の発達により船の往来は減少し、それまで定期的に行われていた、汚泥を取り除く「川ざらえ」は廃れていった。さらに、琵琶湖の水位低下や生活排水の変質なども相まって、1965年頃には、堀はヘドロが堆積し悪臭も漂う公害源となり始め、荒廃は進む一方となった。そんな中、地元自治会の陳情もあり、堀の埋立て計画が正式に決定されたが、一方で、「堀を埋めた瞬間から後悔が始まる」を合言葉に、地域の誇りとして堀を往時の美しい姿に戻すべく、地元青年会議所を中心とした保存運動がスタートした。その運動が次第に市民・行政を巻き込む拡がりとなり、1975年、ついに埋立て計画は見直され、代わりに堀を昔の姿に戻すため、石垣の整備や植樹などが進められることとなった。こうして蘇った八幡堀は、1992年に「近江八幡市八幡伝統的建造物群保存地区」として国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された。堀の景観を守る活動は現在も引き継ぎ行われており、市民の環境意識の高さを物語っている。 また、琵琶湖の内湖・西の湖を中心とした「近江八幡の水郷」は、2006年に国の重要文化的景観第1号に選定され、自然豊かな近江八幡市の象徴となっている。

日本の宝「沖島」


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島の玄関口・沖之島漁港
市北部、琵琶湖の沖合1.5kmに浮かぶ沖島。琵琶湖に浮かぶ島としては、最大の面積を持ち、日本唯一の淡水湖にある有人島である。
 和銅年間(708~715年)、近江の国守であった藤原鎌足の子、藤原不比等が奥津島神社を建立し、沖島の歴史が始まり、本格的に人が住むようになったのは、保元・平冶の乱(1156~1159年)の後、平家に敗れた源氏の落武者7人が山裾を切り開いてからと言われている。それ以来、漁業を中心として生活を営んできた島民であったが、近年では、琵琶湖の水質の悪化、外来魚の増加により、漁業での生計維持が難しくなっている。1958年から2010年までの52年間で人口が▲58%と大きく減少、少子高齢化も進んでいる。そのような厳しい状況下にある沖島だが、2013年7月、離島振興法改正により「離島」指定を受けたことで、風向きが変わろうとしている。「離島」指定を受けることにより、補助金のかさ上げ、活性化交付金の交付、税の軽減などが適用される。それらの恩恵を授かり、島外への公共交通の整備や若年層の誘致などの課題解決に向け、2014年より本格的な取り組みをスタートさせる。
「市、県のみならず、日本の宝として沖島の環境を守る」その思いは、日本の文化を守ることにもつながっていく。

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