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1日でも早く利用者の笑顔を

 宮城県南部を中心に1つのスポーツクラブと7つの介護福祉施設を運営する株式会社 ユースポーツライフ。各施設共通のコンセプトは、老若男女を問わず、すべての人々に生きがいのある人生(生活)を送ってもらうための「健康・体力づくりのサポート」。
 東日本大震災の発生当時、亘理町のスポーツクラブではプール利用者が50名近くいた。地震の揺れで跳ねた水はプールサイドのスタッフの膝下まで達した。スタッフは揺れが収まるのを待ち、全員をプールからあげて2台のマイクロバスに誘導する。衣服はスタッフが建物に戻って回収し、利用者を避難所や自宅へと送った。「ちょうど送迎バスが待機している時間帯でした。もし外を回っていたら、津波にさらわれていた……。利用中のお客様が全員無事だったのが何よりです」と第一営業部長の田中博司さんは当時を振り返る。
 施設の倒壊はなく、配管や設備の損傷だけで済んだ。しばらくは近隣の断水が続いたため、プール管理用の給水車に清潔な水を入れて配った。市から病院への給水も要請され快く応じた。

挑戦し続けることが地元への恩返し

 デイサービス施設では一時的に高齢者を預かってほしいという依頼に応え、定員35名のところに毎日50名を受け入れた。その際、利用者が定員以上になる許可を役所にもらい、利用者には十分なサービスが提供できないことも承諾してもらった。「でも何もしないわけにはいかない。山形まで食料を調達に行き、皆さんにおにぎりを食べてもらうなどしました。自宅が流されたスタッフも含めほとんど全員が毎日出勤してくれました。身体を動かし、誰かの役に立っているのがうれしいと言って」(統括本部長の吉田毅さん)。

株式会社 ユースポーツライフウェルネス事業本部・統括本部長の吉田毅さん(手前)と同事業本部第1営業部長の田中博司さん

 名取のスポーツクラブは総出の復旧作業で、震災の翌月には営業を再開した。「そんなときだから一日でも早くサービスの提供を始めたかった。早期稼働が実現し、お子さんや高齢者の方々の元気な笑顔が見られ、本当によかった。自分たちのやったことは間違っていないと強く感じましたね」と吉田さんは話す。
 今年4月には新たに4つのデイサービス施設の運営を引き受ける。今後も利用者が自然に笑顔を向けてくれるサービスを提供し続けていく。

こぼれ話 こぼれ話

 事務所に通されて、目に飛び込んできた障子。オフィスで見たことがなかった私はびっくりした。ミーティングルームが和室の会社へ訪問したことはあるが、オフィス内に障子があるのは初めてでした。この障子に何か理由はあるのかとお聞きしました。震災後に仮オフィスとして利用していたのが、仙台空港近くの食事処であった。何も無くなり、その仮オフィスで過ごした時間は何者にも変えられない思いがあったそうだ。取材にお伺いした新築のオフィスをデザインしているときに、なんとかこの和室の雰囲気を残せないかとデザイナーにお願いした結果であると聞き、感動しました。自分たちの再出発への思いをしっかりと次世代にも継承していく思いが見えた。
 振り返ってのことではあるが、時間帯がもう少し遅かったら送迎バスが津波に流されていたと聞き、ちょっとしたことで運命は変わるものであることを再認識した取材でした。