eco news アイコン
Eco News Web Magazine
ホーム > 環境市場新聞 > All for JAPAN

all for japan 日本のために、ユーザーのために、日本テクノは何ができるかを考えながら、企業活動を行っていきます。

Scene
25

忘れない。困難に向かう意志と努力

福島県福島市

  有限会社 斉藤製作所・取締役社長の斉藤隆さん。工作機械の修理会社を営む父親のもとで働きながら金型部品の加工技術を覚えた。

福島県福島市取締役社長の斉藤隆さん。

 加工技術のイロハを教わった恩人との共同出資により福島県の飯舘村で地元の人と共同による金型部品製造の会社を始める。それが2002年。飯舘村から多大な支援を受けて実現した起業だった。2006年には、父の会社の登記を飯舘村に移し、独立。心機一転、営業活動から始めたが、父の顧客からの注文も入り、こなしきれないほどの仕事量になった。それでも品質は確保し、信頼を築き、やっと従業員も8名になり、これからというとき、東日本大震災が起きた。
 地震そのものの被害はほとんどなかった。問題は原発事故の影響だ。避難勧告が出されるまでになってしまう。
 震災発生から4日後、従業員の父親が会社に来て「いつでも避難できる準備をします」と息子を連れ帰ってしまう。ここでは仕事はできない。従業員たちとも相談し福島市内への工場移転を決めた。これまでより通勤距離は長くなる。この移転で3人が、小さな子どもへの放射線の影響や親の面倒を見るなど家族の問題でやむなく退職した。
 これまでの実績や信頼もあり、移転先の福島工場でも半年ほどで元の仕事量に戻った。その勢いは今後さらに増えると予想された。応じて求人をかけた。飯舘村では苦労した人材募集も福島市では順調にできた。仕事も社員も増え、福島工場は手狭になっていく。
 飯舘村の元の場所を村に確認すると、復興住宅建設のため使えないという。そこで村の別の場所に新しい工場を建てることにした。ここでも村と県の支援が得られ、驚くほどの好条件で計画が進んだ。働く人材も福島市内から通勤してもよいという人などが集まった。新工場は、予定を1年前倒して2014年1月に稼働し始めた。

挑戦し続けることが地元への恩返し

 斉藤製作所は現在、福島と飯舘2カ所の各8名体制でフル稼働している。それでも斉藤さんは事業をさらに拡大したいと考える。近い将来、福島と飯舘を代表する企業になるため挑戦し続けるという。どんな困難からも逃げ出さず、強い意志を持ち、努力し続けることを忘れない。その中で見つけたチャンスをつかみ取るのが、これまで支えてくれた人たちへの恩返しだと考えている。

こぼれ話 こぼれ話

 口数の少ない社長ではあるが、強い意志と現実と真摯に向き合う姿勢を持つ方であった。なぜ南相馬だったのかが不思議であった。「運」の良さだけでは実現しなかったと感じる事業の立ち上げから今日までをお聞きした。行動力と決断力が少人数でありながら大手企業から頼りにされる企業として存在し、環境や外部協力者、従業員にも恵まれたのだと感じる取材であった。
 被災時も避難することよりお客様の仕事を再開してしまう。「仕事をしている場合ではないのかも」との発言が印象的であった。自分自身のことだけではなく、従業員やお客様など周囲に対しての細かな配慮があるからこそ、お客様や従業員がついてきて、多くの協力者が集まってくるのだと。
 何社も訪問させて頂いているが、震災による被害と原子力発電所事故の被害には大きな差がある。今回も復興って何かなと考えた取材であった。

コラムの関連記事
  • 日本の環境教育
  • Eco Story
  • 環境モデル都市探訪
  • Techno's Thinking
アドレス