歴史に学び、未来に向かう
三重県にある「四日市公害と環境未来館」では戦後の高度経済成長期に発生した四日市公害の資料、映像、当時の様子を再現した展示物などが間近に見られる。さらに、その苦い経験を乗り越え、環境改善と産業の発展を両立させていった都市変遷の様子も、同様の展示物として、豊かで暮らしやすい未来を思わせる館内に配置されている。歴史と教訓、そこから得た知識や環境技術を次世代に伝えるとともに、国内外に広く発信するための施設だ。展示エリアにある「四日市公害裁判シアター」では、関係者のインタビューなどで構成される約20分の映像作品「四日市公害裁判の記憶」が上映されている。その内容を紹介しておこう。
昭和30年代、日本は高度経済成長期を迎え、四日市市塩浜地区に大規模な工業団地(石油化学コンビナート)が誕生した。それから間もなくして近隣の医療施設に、ぜんそくなどの呼吸器系疾患に苦しむ患者が相次いで訪れた。工場からの排出される煙に人の健康を害するほどの亜硫酸ガス(二酸化硫黄)が含まれていたのだ。
だが当時、公害健康被害の補償を定める法律はない。そこで患者9名がコンビナート企業を相手に訴訟を起こす。ぜんそくで入院中の原告は病室から最終陳述した。「命と町と暮らしを守ってほしい」と喘鳴をまじえながら訴えた。訴訟から5年後の1972年、原告側が勝訴する。これを受け、国は治療費負担などに関する法律の制定に着手し、企業はさらなる汚染防止対策に取り組んでいった。
現在の四日市市は、国連環境計画(UNEP)から環境保全活動の功績を称える「グローバル500賞」を授与されるほどの都市に変わっている。工業都市でありながら環境改善が進んだのは、市民・企業・行政が一体となって努力した結果だろう。
その努力を継続する目的もあり、「四日市公害と環境未来館」ではワークショップや体験型のイベントなど、子どもたちが環境問題に関心を持てるイベントを定期的に企画する。参加した子どもたちは「ゴミのポイ捨て禁止」「ビルの建てすぎに注意」など未来に向けたメッセージを残す
同館の学芸員・大杉邦明さんは、「この町は公害が発生した場所として、今後もマイナスイメージがつきまとうかもしれない。でも、現在の四日市の姿も知ってほしい。当館の展示や活動を通して過去の教訓を伝え、環境問題について身近に感じてもらえるよう情報発信していきたい」と話す。
公害訴訟で勝訴した日、町にはまだ煙が立ちのぼっていた。判決が下されても人々の健康や美しい環境はすぐには戻らない。長い年月を経て改善してきた町を今後も大切に守ってほしい。
よっかいちこうがいとかんきょうみらいかん
四日市公害と環境未来館
三重県四日市市安島1-3-16 そらんぽ四日市2階
059-354-8065(代表)
9:30~17:00(ただし、展示会への入館は16:30 まで)
月曜日(祝日の場合は翌平日)、年末年始
無料(特別展・企画展は展覧会ごとに規定)
http://www.city.yokkaichi.mie.jp/yokkaichikougai-kankyoumiraikan/
現在も四日市市ではさまざまな取り組みが行われています。日本の環境技術を海外に移転するために設立されたICETT(国際技術環境移転センター)と連携し、「地球環境塾」を開催。アメリカ、中国から高校生を招き、四日市市の高校生とともに国際的な視野で環境について考えています。また、四日市公害と環境未来館では、大人から子供まで楽しめる環境学習イベントを実施。四日市公害の語り部をはじめ、エコクッキングや自然観察、ごみ処理施設の見学など、年齢や目的にあわせたプログラムを選ぶことができます。こうした取り組みがあるからこそ、時代が移りゆくなかでも人びとの環境意識が高く、美しい町を維持できているのだと思いました。