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三重県四日市市

人口312,636人※2014年5月1日現在
面積205.58km²
市HPhttp://www5.city.yokkaichi
.mie.jp/

四日市市ニューストピックス

2014/6/20
本編を公開いたしました。
2014/4
取材を行いました。

公害の教訓を後世へとつなぐ

三重県北部に位置する四日市市。総人口は30万人を超える、県庁所在地・津市を上回る三重県最大の都市である。1950年代、全国有数の石油化学工業都市として発展していく中、四日市市は大きな問題に直面することとなった。
後に四大公害の一つとなる「四日市公害」の発生だ。

公害の発生


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公害発生当時の四日市市
高度経済成長期、国の「石油化学工業の育成対策」により、1955年、四日市市塩浜地区に石油化学コンビナートの建設が決定。1959年に日本最大のコンビナートの一つが誕生し、市の成長を後押しした。しかし、この第1コンビナート稼働直後から、大気汚染や水質汚濁などの環境問題が深刻化し、多くの市民が「ぜんそく」をはじめとする呼吸器系の病気に苦しむようになっていった。
また、工場から排出される煙により、空気は汚れ、周辺の海で採れる魚は油臭く、奇形もみられるようになっていた。
コンビナートの建設による影響は、市民をも巻き込む大きなものとなっていた。
こうした状況を受け、1965年、市では日本で初めてとなる、公害健康被害者に対する「医療費救済制度」を実施。翌々年には、第1コンビナート企業6社を相手に、9人の公害認定患者が裁判を起こした。この裁判は、全国各地が抱える大気汚染問題の中で、全国で初めて複数の工場の共同不法行為を争った裁判であったことから大きな注目を集め、後に「四大公害裁判」と位置付けられた。


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青空を取り戻した四日市市
1972年、「ぜんそくの原因は工場から出る煙」として原告勝訴の判決が下された。この結果を受けて、国は「公害健康被害補償法」を制定、原告のみならず、全国各地の大気汚染で苦しむ被害者を救済することとなった。そして、市民、企業、行政一体となった環境改善への取り組みが進められ、1976年には、ぜんそくの主な原因とされる二酸化硫黄濃度が、市内全域で国の基準をクリアするまでに回復した。
1970年に四日市市霞ヶ浦地区に整備された第3コンビナートでは、出島方式を採用するなど、「住工分離」を促した。また、各企業による工場の高煙突化や排煙脱硫装置の開発も進んだ。こうした取り組みの結果、産業発展と環境保全が両立した都市へと変化を遂げ、四日市市の空には青空が戻った。

知識と経験の伝承


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国際環境技術移転センター
(ICETT)
1992年、四日市市は、環境改善の過程で培われた、産業公害防止に関する技術や知識を諸外国に伝え、地球環境保全に貢献するため、三重県や中部経済界とともに、「現・公益財団法人国際環境技術移転センター(ICETT)」を設立した。2013年度末現在、中国からの549人、インドネシアからの301人をはじめ、89カ国、2,387人の研修員を受け入れ、知識と経験の伝承に注力してきた。
また、四日市市は夏休み期間に学生を対象とした「地球環境塾」を毎年開催。四日市市の友好都市である中国・天津市、姉妹都市であるアメリカ・ロングビーチ市からそれぞれ4名を招き、四日市市内の高校生4名と共に約1週間、四日市市に滞在し、環境問題についての講義を受けるとともに、市内の環境施設の見学や日本文化体験も実施。最終日には成果発表会において、地球環境塾で学んだこと、考えたことについて、グループごとにプレゼンを行っており、参加者同士の交流を深める場としてだけでなく、将来を担う人材育成の場としても大きく貢献している。

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