人口 | 983,236人※2013年5月31日現在 |
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面積 | 488.78km² |
市HP | http://www.city.kitakyushu.lg.jp/ |
備考 | 環境モデル都市(2008年選定) 環境未来都市(2011年選定) |
北九州市ニューストピックス
- 2013/7/22
- 本編を公開いたしました。
- 2013/5
- 取材を行いました。
世界へ羽ばたく 奇跡のまち
九州最北部に位置し、三大都市圏以外では、初の政令指定都市となった北九州市。関門海峡を隔てた山口県下関市と共に、関門都市圏を形成し、西日本を代表する大都市として活気に満ちあふれている。
1901年に官営八幡製鉄所が創業して以来、工業・産業都市として大きな発展を遂げていった北九州市は、その発展の代償として深刻な公害に悩まされることとなる。
公害のまちは奇跡のまちへ
かつての洞海湾(上)と
市内上空の様子(下)
1960年代、日本の高度経済成長はピークを迎え、鉄鋼、機械、化学などの重化学工業は、その重要な役割を担っていた。そんな中、工業地帯と住宅地帯が密接する日本の都市環境は、公害を生み出しやすい環境でもあった。大規模な工場が立ち並ぶ洞海湾周辺地域の「城山地区」では、1965年、ひと月平均80トンの降下ばいじん量を記録し、日本最大の降下量となった。1969年には日本で初めてのスモッグ警報が発令されるなど、多大な大気汚染に苦しんだ。「公害の吹き溜まり」と呼ばれた同地区では、小学校の廃校、多数の喘息患者を出すなど、負の連鎖が続いた。さらに洞海湾では、工場からの未処理排水や市民の生活排水が流入し、水質汚濁が進行、船のスクリューは溶け、大腸菌ですら生息できない「死の海」と言われるようになった。
この劣悪な環境を蘇らせようと立ちあがったのが、子どもの健康を心配した母親たちであった。「青空が欲しい」というスローガンのもと、自発的な大気汚染調査を行い、企業や行政に改善を求めた。継続的な住民運動やマスメディアの報道は、「公害問題は我が国の問題」として意識させるきっかけをつくり、企業や行政の公害対策が本格化していった。
現在の洞海湾(上)と
市内上空の様子(下)
企業は、生産工程の改善や汚染物質の除去処理施設の設置、工場緑化などの対策を実施、行政では公害監視センターの設置と共に、公害を科学的に研究するための組織を整備するなど、様々な環境対策を行った。
市民、企業、行政が協働で取り組んだ結果、環境は急速に改善され、1980年代には、「奇跡のまち」として見事な再生を果たした。7色の煙に覆われた空は澄み渡った青空に。死の海と言われた洞海湾には、100種類以上の魚介類が生息するまでになった。
奇跡の復活を遂げた北九州市は、公害の教訓を活かし、積極的な環境活動を継続的に展開し、2008年には「環境モデル都市」に、2011年には「環境未来都市」に選定されるまでになった。現在では、世界が注目する環境先進都市として、様々な取り組みを通し、国内外に大きな影響を与えている。