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Eco Story 環境活動を推進する企業の物語
#07/戦後日本の環境対応
   

環境対策における日本企業の歩み

アンダーバー

 このコーナーは近年の環境問題、エネルギー政策の変化を受けて、企業がどのような環境活動をしているのかを紹介するために立ち上げた企画だ。今回はあらためて、これまでの日本企業が直面してきた環境問題とそれに対して取り組まれた対策について紹介したい。

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 戦後の日本は経済成長を目標に掲げ、金銭的・物質的な「豊かさ」を求めてきた。重化学工業化が急速に進んだ1950年代半ば〜1970年代前半の高度経済成長期には、「四大公害病」が社会問題となり、経済社会のあり方に警鐘が鳴らされた。1972年に成立した「大気汚染防止法」の改正では、事業者は故意または過失がない場合であっても、損害を賠償する責任があるとされ、その後も大気汚染、水質汚濁、土壌汚染、騒音について環境基準が設定されていく。 1970年代に起きた2度のオイルショックで国内経済は経済危機に見舞われたが、省資源・省エネルギーの経営努力と技術開発で、産業構造の転換を図り、世界も驚く回復をみせる。資源の使用量を減らすことが環境汚染物質の減少にもつながるという考えも同時に根づいていく。

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 1991年になると、経団連が産業界の地球環境保全についてのガイドラインとなる「経団連地球環境憲章」を発表した。自社独自の環境規定や負荷削減目標を定めて、その順守状況を監査する制度の必要性を提起。この憲章をモデルとして、多くの企業が経営理念の一環として環境方針を明示するようになった。 翌1992年にはブラジルで「地球サミット」が開催される。以降、全世界で地球環境問題の重要性が認知され、日本でも本格的な取り組みの段階へと入っていく。

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 次の大きな契機となったのが1997年。京都で開催された「気候変動枠組条約第3回締約国会議」である。ここでは各国の温室効果ガスの削減目標を示した「京都議定書」が全会一致で採択された。日本は、2008年から2012年までの間に、温室効果ガスの排出量を1990年比で6%以上削減することなどを約束。豊かな地球環境を享受しながら、持続可能な発展をしていくためには、幅広い組織や事業者が、自主的かつ積極的に環境保全の取り組みを進めていくことが求められるようになり、そのための有効なツールとして「環境マネジメントシステム」が注目され始めた。

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 2001年、中央省庁再編に伴い、環境省が新たに発足。環境改善を継続的に行うために、組織の活動を体系的、効率的、効果的に運用するシステムの策定が進められた。これにより、企業や自治体が、自らの事業活動や製品・サービスによる環境への影響を把握し、環境配慮の方針や計画を立て、PDCAサイクルを行う体制を整えていった。 環境マネジメントシステムでは、国際規格のISO14001や環境省が策定したエコアクション21をはじめ、地方自治体やNPOなどが策定した規格が次々と登場した。

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 企業の環境意識が高まる中、2011年に東日本大震災が起こる。その後、相次いだ全国の原子力発電所停止は、日本国民の意識を大きく変えた。断続的な電力不足が発生し、原発停止や火力発電の燃料費増加によって電力料金が上昇していった。政府や企業、そして国民が一体となって、エネルギーのあり方をもう一度見直す段階にきている。 再生可能エネルギーの推進、エネルギーの効率的利用、グリーン調達、低環境負荷製品の開発など、企業は地球環境の保全を考えながら、健全な経済発展を遂げるため、日々さまざまな努力をしている。今後も現在の日本が抱える環境問題について、企業の活動を紹介しながら一緒に考えていきたい。

戦後の環境分野で主な出来事 こぼれ話

今回はこれまで紹介してきた企業単位の環境活動がどのようにして起きてきたのか、その経緯を紹介しております。日本では多くの企業が環境活動に取り組んでおり、また、継続されていることが非常に多く、この背景を整理しました。 エコストーリーの企画立案当初から、この内容は早めに掲載する必要があると思っていたのですが、新企画は最低5社くらいの取材見込みがないと実現しないので、企業取材を優先していたところ、「いつやるの?」と突っ込みが入り、今回のテーマとなりました。本来であれば、初回でやるべきだったかなと反省しております。

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