「埼玉県の私立高校サッカー部員二十数名が韓国で集団万引き」したという事件が過日マスコミで報道された。渡韓の目的は現地の高校との親善試合だった。ソウルの東大門にあるショッピングモールでチームのトレーニングウエアを着たままの犯行。「店員がいないからやってしまった。ほかの部員が盗んだのを見て、自分もできると思った」。人間は集団に影響を受ける。芝蘭之化だ。出勤前で店員がいない9店を回り、総額28万円相当のベルトや財布など70点余りを盗んだという。
サッカーは、試合の流れの中で、選手一人ひとりが役割を理解し、何をどうすべきか考え、行動しなければならない。団体競技とはいえ各人が自立しているのだ。指導者はそれを日常の練習で教え込んでいるはずだ。なのに、犯行にかかわった部員の中の誰一人として「犯罪行為だから、やめよう!」と言っていない。記者会見で副校長は、「ご迷惑をおかけした。申し訳ない。生徒を厳しく指導したい」と謝罪した。その高校に人間教育という指導の面が欠けていたといわれても仕方がないだろう。
2013年に女子柔道の強化選手が指導者の暴力を告発したとき選手側のサポート役をした山口香 筑波大学大学院准教授は次のように話している。「スポーツをしていると、スポーツマンシップやフェアプレイの精神が身につくように思われがちですが、それは過信です。柔道の創始者・嘉納治五郎先生は『柔道の技の稽古を何万回やったところで人は育たない。人間教育は別建てで教えなさい』と言っています。柔道を稽古する意味や人としてどう生きるかは言葉でしっかりと教えるべき。だから嘉納先生は形や乱取りの稽古に加え『講義』と『問答』をとても重視されました。指導者と門弟が対話を重ねていくことが大切です」。
芝蘭之化だ。韓国での集団万引きはグローバル化が進む今の時代、人間教育の重要性が世に問われた事件でもある。