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  • 東日本大震災から復興への歩みをみせる被災地の企業や日本テクノの取り組み

気づくと受け入れの承諾をしていたScene 22

福島県の飯坂温泉にあるホテル天竜閣の代表・杉山徳茂さんは、「あの日は膝がガクガクしてもう駄目かと思った」と語り始めた。
不動産業を営む兄から相談され、食品卸の営業からホテル業へ転身して4年、立ち上げの苦労を乗り越えてリピーターがつき始め、30名の従業員とともに経営が軌道に乗り出したとき、東日本大震災は起きた。施設の修繕依頼は、材料がないと断られ、自分たちでできるところから直していった。そうして徐々にボランティアや復興支援の人々を受け入れ始めた。
サッカーの強豪校として知られる福島県立富岡高等学校の校長と教頭が訪れたのはそのころだ。「サッカー部の生徒約50名を2〜3年、いや何年になるかわかりませんが受け入れてくれませんか」と頭を下げられた。
富岡高校は福島第一原発から半径10km圏内にある。避難を強いられ、生徒は今も県内外の4カ所の高校に分散して通学する。そのサッカー部の共同生活の場を提供してほしいとの申し入れだった。
費用も提示された。だが、期間も定まらない状況では経営者として、とても承諾できる金額ではない。「悩んだのは確かです。でも、気がついたら〝わかりました〟と返事をしていました」と杉山さんは、はにかむように言う。そのとき脳裏に浮かんだのは、高校時代に自分のことを心から信頼してくれた恩師の言葉だった。「君には人が喜ぶ仕事をしてほしい」。
その後、多くの人の働きかけで生徒たちが被災者認定を受け、学校やOB、保護者の支援も集まり、当面、費用の心配はなくなった。
1年生のときからホテル天竜閣での共同生活を経験している世代は、2013年度の全国高等学校サッカー選手権大会へ出場を果たした。今年度は県大会の決勝で惜しくも敗れたが、ここでの生活で得たものは勝敗よりも温かい。

3年間ともに暮らす生徒も「お客様」

杉山さんも3年間を彼らと一緒に過ごす。当然、フレンドリーな間柄になる。だが、「決してお客様であることを忘れてはいけない」と言い続ける。「おもてなし」の心がなくなったらホテルではなくなる。「私どもは一人でも多くの方に飯坂温泉に来ていただき、よい思い出をつくってほしいのです。ぽかぽかの温泉に浸かり、おいしい料理を食べ、ぽかぽかした気持ちを持ち帰っていただきたい」という信念は、富岡高校の生徒たちにも通じている。

こぼれ話

ご自身の高校時代の恩師に頭を下げられたような気分だったのかなと想像をするほど、感慨深く話された杉山様。瞬間の判断に多くのことを思い、最後の決断には「人が喜ぶ仕事をしてほしい」の恩師の言葉が大きく影響していた。不覚にも涙が溢れそうでした。
当初は食事も大変だったようです。これまでのお客様とは異なる年代層であり、育ち盛りでもあり、スポーツ選手でもある。これが良いと作ってみても、全員に受け入れられることはまずないそうだ。カレーライスでも駄目な方はいると聞いて、苦労されたのだなと感じた。私も若いころに寮生活をしていたが、おかずの種類は確かに多かったなと思い出した。そんな苦労も「おもてなし」の心ですべてに対応していく心意気に感激した取材でした。

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