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  • 東日本大震災から復興への歩みをみせる被災地の企業や日本テクノの取り組み

牡鹿の島々とともに生き抜く Scene 52

移り変わる需要への対応で難局打開

 東日本大震災の震源地に最も近い陸地である牡鹿半島。その突端に位置する宮城県石巻市鮎川浜は、東北三大霊場の1つである海を挟んだ対岸の島・金華山の参拝拠点となる町だ。半島で唯一の観光ホテルである島周(しまめぐり)の宿さか井(旧・ホテルニューさか井)は、金華山をはじめとする牡鹿半島の美しい島々を一望できる見晴しが自慢。震災とコロナ禍でダメージを受けた地域観光振興のため奮闘する。
 「あの日はいつも通り、関東圏からの団体旅行のツアー対応をしていました」。代表取締役の遠藤秀喜さんは、被災時の写真を見ながら当時を振り返る。
 震災前は金華山を訪れる団体がメインの客層だった。2011年3月11日も普段のように金華山からフェリーで鮎川港に戻り、港に隣接する自社の食事処で昼食を提供した。地震の発生はホテルに戻り休憩に入ったときだった。頑丈な鉄筋コンクリート造であるため、人的被害はなかったが、停電や通信の遮断で外部からの情報が途絶した。
 状況が把握できない中、半島と金華山の間の海の水が引いていくのを見た。海底が見えるほどの引き潮に、尋常ではない事態を察した。「鮎川浜を襲った津波は高さ約10m。港にある食事処は2階まで水に漬かりました。地震が昼食時に発生していたら私たちも危なかったでしょう」と、津波が去った後の被害状況が写された一葉を手に話す。津波は直接ホテルまで及ぶことはなかったものの、ホテルの立つ海抜80mの岸壁を半分ほどまでえぐった。今もむき出しの地肌が残っている。
 東北地方は周期的に大きな地震に見舞われてきた歴史がある。遠藤さんも大地震を体験したのは人生で2度目だった。そのため食料や石油ヒーターなど地震への備えは万全で、宿泊客に寒さや空腹を感じさせることはなかった。ただ、通信状況が悪く、その日参加していた84人のツアー客は帰宅することも、家族に無事を知らせることもできないまま3日間を同ホテルで過ごすことになった。
 地元の避難住民を受け入れるかたわら、どうにかして彼らを帰さなければならない。電話も通じないうえ、道路もところどころ寸断している状況の中、遠藤さんは単身車を走らせた。仙台中心部までたどり着いたところでやっと電話が通じ、宿泊客を関東へ送り届けるためのバス2台をチャーターできた。
 それまで音信不通だったことから、ツアー主催の旅行代理店も最悪の事態を想定していたというが、84人は全員無事に自宅へ帰ることができた。
 周辺にあった同程度の規模の宿泊施設は、建物が修復不能なレベルの被害を受けたため廃業を余儀なくされた。遠藤さんも一時は廃業を考えたという。それでも女川原発復旧のための作業員の宿泊拠点として打診を受け、復興に貢献したいという思いから事業継続を決意。被災した地元住民に対する宿泊・入浴の援助と並行して建物や設備の最低限の補修を終え、地震発生から約7カ月後の10月15日に営業を再開した。以後は港や道路の復興工事業者にも宿泊拠点を提供。金華山の地盤沈下で観光が下火になった時期もなんとか乗り越えた。
 当時は目の前のことに夢中だったが、結果として、移り変わる状況に適宜対応することで難局を打開していった。復興工事の落ち着いた今では観光ホテルの様相を取り戻しており、津波被害を受けた食事処の跡地に建った「ホエールタウンおしか」に新しくレストランを出店するなど、地域振興にも一役買っている。
 近年のパワースポットブームの影響か、金華山を目指す若い客層は増えている。「2025年には金華山の12年に1度の大イベント〝巳年の大祭〞があります。お土産やツアー内容など、すでに商品開発を始めています」。これを起爆剤に、地元の観光をもっと盛り上げていきたいと遠藤さんは意欲を燃やす。牡鹿半島だけでなく、名勝・松島も巻き込んだ「島周(しまめぐり)ツアー」という企画も、観光の目玉として用意している。度重なる苦境にも立ち向かう東北の人々の力強さがそこにあった。

島周の宿さか井の代表取締役 遠藤秀喜さん。
東日本大震災後も激変する状況に適宜対応していくことで事業を継続させている。

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