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  • 東日本大震災から復興への歩みをみせる被災地の企業や日本テクノの取り組み

津波、風評の被害を乗り越え、復興へ邁進 Scene 49

管理部の立谷浩二さんから
当時の様子を取材した。


 海苔(のり)の加工販売をメインとする福島県相馬市の株式会社サンエイ海苔。多彩な商品の中でも人気の韓国海苔は、袋から出してそのまま食べられる包装を独自開発し、一世を風靡した。工場は国内9カ所に加え韓国にもあり、相馬市近郊に5つのホテルを経営するなど幅広く事業を展開する。――だが、ここまでの道のりは平坦ではなかった。
 東日本大震災の被災地。本社工場は難を逃れたが沿岸の工場と倉庫、数億円分の海苔が流された。従業員のほとんどは無事を確認できたが津波に奪われた貴い命もあった。
 復興へ歩み出すべく海苔の加工を再開したが、一時的な出荷停止の影響は大きく、取扱店には他社の商品が並んでいた。そこに、福島県に対する風評被害が出始める。売上高は半分にまで落ち込んだ。
 それでも逆境を跳ね返す意志は失わなかった。1件1件、丁寧に安全性を説明し少しずつ販売量を戻していった。仕事が減った時期、約80人いた当時の従業員にはグループ会社のホテルでの作業や地域ボランティア活動へ参加してもらい、給与は払い続けた。
 そのホテルには被災者や復興支援の人を受け入れた。ここでは社長の立谷一郎さん自らも、炊事作業や清掃など寸暇を惜しんで働いた。そのときは携帯電話に出るのもままならず、安否が危ぶまれてしまい「津波で流され、亡くなった」との誤報が地元新聞に掲載されたこともあった。
 懸命な活動を続ける中、海産物加工業者の多くが復興を諦めていき漁師の水揚げに買い手がつかなくなっていると知った。このままでは相馬から漁業が消えてしまう。それを食い止め、自社の事業拡大にもつなげるため名産物のしらすや魚介類を買い取り、加工して販売することを決めた。ただ、簡易な設備での加工では市場競争に勝てない。そこでコメの選別に使うカメラで異物をはじく機械、風圧で異物を飛ばす機械など最新機器をそろえ、より良質の商品に仕上げる態勢を整えた。

力を緩めず被災地への工場新設次々と

 以前は海苔だけだった商品ラインナップに、多種の加工品が加わっていった。それは堅固な復興を後押ししてくれる。必要なのはここで力を緩めないこと。だから、被災地での工場新設を矢継ぎ早に進めていった。震災前は本社工場を含め3カ所だった生産拠点に新たな6工場を追加していく。新設の拠点には、コンビニエンスストア向けのおにぎり用海苔加工や、アレルゲンを一切排除して海苔をつくる宮城県・仙台湾を臨む亘理工場、原発事故後の避難指示が解除された地域の雇用促進につなげる浪江工場などがある。いずれも地域復興への思いを込めた工場だ。また2021年2月の地震で老朽化に拍車がかかった本社工場も修繕を進めている。
 ハード面での整備は進んだ。今後は人と商品力のソフト面を整え、自社と地域のさらなる発展に向かっていく。

修繕を進める本社工場に併設の直売店舗。

こぼれ話

 サンエイ海苔の創業は、70年以上前に現社長の祖母が、東北から相馬まで海苔の行商を行っていた立谷海苔屋(たちやのりや)を起源とする。その後、4兄弟のうち3人が別個に海苔屋を営んでいたが、家庭向けの「味付け海苔」の時代になり、個々で加工機器を買っていては競合に勝てないと統合。3人が栄えるようにと、「サンエイ海苔」が50年前に設立された。3代目となる現社長は、営業部長と仕入れ部長の二人の弟と事業を拡大し、現在は息子である長男・甲一氏と取材した次男・浩二氏が次世代を担う。浩二氏からは「父がハード面を整えてくれた。これからは兄とともに、人と商品力のソフト面をさらに磨いて、会社と地域を発展させていきます」と強い決意を表明いただいた。

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