劣等感
秋は豊穣の時と歓迎される一方で、どこか物悲しい気分を連れてくる季節。そんな心の隙に入り込む煩わしい感情の1つが劣等感です。
最初に断っておきますが、何かに失敗したり、ふと魔が差したりしたあと、反省し、自分を嘆く一時的な自己嫌悪は劣等感とは異なります。それは健全な精神の働きです。
劣等感は、自分を卑屈にし、落ち込ませるだけのもの。暗い気持ちで過ごす様子は周囲から疎まれ、ますます劣等感を深めていきます。ではこの劣等感、どこから生じるのか。
それは、何かが足りない、十分でないと感じる気持ちです。容貌や体型、頭脳、さらには家庭環境や学歴など、そのうちのほんの1つ2つに引け目を感じる。その不足感が心の全体を覆い、すべての面で「自分は駄目だ」「ひどく不幸な境遇だ」と思い込んでしまうのです。
しかし、人間はそれぞれ差異があって当然です。まったく同じ人は誰一人としていません。さまざまな個性を持った人間が地球上に暮らしているのであり、色々な人たちがいてこそ、この世の釣り合いがとれ、味わいも出てきます。
劣等感の生じる原因を絶つために、皆が皆、顔、体型、才能などを判で押したように同じにできればいいのかもしれません。ただ、もしそれができたとしたら、本当につまらない世の中になってしまうでしょう。他人と自分が違うことは、自然でいいことだと改めて認識したいものです。
他人との比較や他者の評価にとらわれ、自身を低く見積もり劣等感を抱くのは、秋の連れてくる物悲しさの思うつぼ。昔から「楽は苦の種、苦は楽の種」といい、森羅万象すべては表裏一体です。よって、受け取り方次第で自分の心の様も変えられるのです。
エッセイの作者、いっさんは、テクノ家おばあちゃんの友人。実は「いっさんのちょっといい話」は、旅行好きないっさんが旅先からおばあちゃん宛に送った趣味の随筆の一部なんです。