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しあわせ

 世の中は「正負の法則」で成り立っているといわれます。プラスの事柄があれば、それと同等のマイナス面が必ずある。欲しかった品物を買ったら相当する代金を支払うのもその1つです。「苦あれば楽あり」「禍福はあざなえる縄のごとし」など、これを表すことわざもたくさんあります。
それでも人は、「プラス(正)」の代名詞ともいえる「しあわせ」を求めるようです。世界中の誰もが、しあわせになりたい、しあわせでいたいと望んでいることでしょう。
それを踏まえて今日は、「しあわせ」という言葉について考えてみたいと思います。「しあわせ」は漢字を交えると「幸せ」「仕合わせ」「幸福」と書きます。いずれも心が満ち足りた状態を表します。この心が満ち足りた状態に至るには、大きく2つの流れがあります。1つは、偶然的にほかから与えられて得られる「しあわせ」。もう1つは、自分の苦心や努力によって勝ち得た「しあわせ」。前者は「幸」、後者は「福」といい、合わせて「幸福」になります。心が満ち足りた状態を単純に表現する場合はこの「幸福」の字が一番ふさわしいでしょう。
「幸」は、たまたま幸福な家庭に生まれたとか、うまい巡り合わせに出会ったとか、原因は自分の努力の外にある。何も代償を払っていないので、「しあわせ」に対し恩義や感謝の念を抱きにくいものです。その本質を表現した言葉が「僥倖(ぎょうこう)」で、思いがけないしあわせ、偶然の幸福という意味です。ただしその陰には、時間と場所、姿・形を変えて、いつか代償を支払う必要があるとの意味が隠されていると思います。
一方、「福」の字の左側は「示偏(しめすへん)」です。示偏は神様を表します。示というのは、神の光、叡智の光が上からさしてくる様子を表します。「福」の右側の旁つくりは、「積み重ねた収穫」を表し、農家の軒先に収穫物である俵が積み上げられた形になっています。つまり神様の前に山積みされたものが「福」。これは前もって代償を支払った「福」ですから、心置きなく味わえる「しあわせ」です。
 こう見ていくと、「しあわせ」は、浮かれて喜んでばかりではいられないものなのかもしれない、と思えてきます。「幸」にしろ「福」にしろ、なにがしかの代償が欠かせない。世の中はやはり、プラスとマイナスが釣り合う仕組みになっているようです。うまい話などないものなのですね。

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