限りある日々
私たちは人の生きられる時間が有限と知っています。でもそれは知識としてあるだけで多くは今の生活がいつまでも続くと信じ、終焉はいささかも思わず過ごしている。そんな意識の中では、何事も「明日やれる」「いつでもできる」と先送りにしてしまいます。
一方、時間の有限性がもっと明確な場合は、どうでしょう。例えば、お金がかかる海外旅行。限られた日程で最大限に楽しもうと徹底的に調べ、計画を練り、現地ではムダなく効率よく行動します。せっかくだから良い思い出をつくるため限りある時間の中で悔いを残さぬよう精一杯楽しもうと考えるのは当然でしょう。ではこれが人生という尺度になると、なぜ先送りになってしまうのでしょうか。
ある会社の社長は、百年分の暦が1枚の紙に載った「百年カレンダー」を、社内に掲示しています。彼は社員に「このうち私たちが働けるのは、2万日程度。いずれはカレンダー内に命日がつき、誰もが土に帰る。ならば、その期限までは、懸命に働き、楽しみ、能力を使い切り、多くの感謝を得られるような悔いのない一生を送ろう」と話すそうです。実はこの社長、十代の頃に結核を患い、長い闘病生活を経験しました。そのとき、窓外を歩く人の姿を見て「何て幸せなことだろう」と思ったそうです。退院後に感じたのは「働けるだけでありがたい」という気持ちでした。
元気に過ごすという当たり前を「ありがたい」と感じられる。そんな人は、土に帰るまでの一日一刻を大切に生きようとします。
人生の重さはどれだけ気持ちを込めて日々を生きたか、濃密な時間を過ごせたかで測られるもの。限られた時間の人生をもう一度考え直そうと思いました。
エッセイの作者、いっさんは、テクノ家おばあちゃんの友人。実は「いっさんのちょっといい話」は、旅行好きないっさんが旅先からおばあちゃん宛に送った趣味の随筆の一部なんです。