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  • 東日本大震災から復興への歩みをみせる被災地の企業や日本テクノの取り組み

新たな加工技術の開発で立ち向かうScene 33

 今年創業64年を迎える株式会社 タクシンは、社員80名の企業。大小の罐類(かんるい)製造をはじめ多様な金属類の加工、超硬工具の製造などを行う。以前は神奈川県川崎市を拠点としていたが、1989年より福島県いわき市好間の中核工業団地で事業を行っている。

震災被害額は約1億円

株式会社タクシンの高橋博義社長とももこ総務取締役

 「東日本大震災の被害という点では、当社は比較的軽微なほうでした。それでも加工機器がずれ、狙った精度が出なくなる、仕掛品が床に落ちて傷がつき商品にならないなど、金額にして1億円ほどの被害がありました」(総務取締役の高橋ももこさん)。
 さらに原発事故により、会社は休業を余儀なくされ、半数以上の社員が地元から避難した。「会社は休業したものの、納期の迫った仕事もあり、お客様からは〝事情はわかるが何とかならないか〞 と催促されます。このときは本当に悩みました。でも残っていた社員が、自宅の片づけもまだ済んでいないような状況で、仕事を手伝ってくれたんです。本当にうれしかった。この会社は人に恵まれていると、つくづく思いました」。社員の中には、震災後もしばらくの間は機械が使えないので、客先に出向し、そこで加工作業をしていた技術者もいる。
 1カ月ほどで一時休業から再開できたが、その後の道のりも決して順調ではなかった。「震災を機にコストの低い海外生産に切り替えたお客様もいらっしゃいます。また、海外向けの製品で放射能に汚染されていないものを出してほしいと言われ、仕方なくクーラーの効かない部屋で窓を閉め切って作業を続けたこともあります」。

株式会社タクシンでは大小さまざまな金属加工を行う


 売上は震災後に落ち込んだものの、少しずつ回復しており、今は震災前の85%まで盛り返してきた。そして現在、積極的に取り組んでいるのが、新たな加工技術の開発と、それによる新規依頼の拡大だ。
 「これまでと同じことをしていては、早晩行き詰まってしまう。私たちが成長することで新たな依頼を生みたいんです。新しい機械も導入しました。毎日が挑戦です」。その口調には、「震災なんかには負けない」という強い決意が込められていた。
こぼれ話

いわき市の震災直後はライフラインが寸断された上、放射能の汚染状況もわからないため、住民は急ぎ避難していました。そうした状況で業務を続けた皆さんのお気持ちはどんなものだったのでしょうか。周辺には機械が壊れてしまい、何十億という損害を受けた会社もあったそうで、「そこに比べればうちはまだよかった方なのです」とももこ取締役はおっしゃいます。同社の取材に訪れたとき、社内に猫がいました。「野良なんですけど、えさをあげたら慣れちゃって」とのことでした。状況は大変ですが、小さな生き物をかわいがるような余裕があるからこそ、この会社はいつか震災前よりも大きく成長されるに違いないと思いました。

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