• All for JAPAN
  • 東日本大震災から復興への歩みをみせる被災地の企業や日本テクノの取り組み

国内外へ、後世へ──震災の教訓を発信Scene 36

 東日本大震災。宮城県仙台市は約14万戸の家屋が半壊以上のダメージを受け、市人口の10%に当たる10万人以上が避難を強いられるなど甚大な被害を受けた。それから丸7年が過ぎ、迅速な復興事業で街はにぎやかさを取り戻し、次の災害に備える防災インフラの整備も着実に進む。
 「道路や津波防護施設などハード面の整備や生活再建の支援といった活動は、息長く継続していくのが大前提です。そのうえで忘れてはならないのが、この経験とそこから得た教訓を、国内外や後世に広く伝えていくこと」だと市の震災復興担当者は話す。

「津波を防ぐためのかさ上げ道路の整備も着実に進んでいる。

 伝承と発信が責務だと考える仙台市。そこには先人の教えを生かせなかった反省がある。仙台は、869年の貞観津波、1611年の慶長津波など歴史上何度も大津波による災害を経験している。海岸から約5km離れた「浪分神社」は過去に発生した津波の到達点を示していたのだ。だが先人が残したその情報を受け止めきれていなかった。

着実な復興事業とともに

 過ちは繰り返さない。だから震災の記録と記憶をしっかり伝え続ける事業に力を注ぐ。伝承の拠点施設である「せんだい3.11メモリアル交流館」をオープンした。津波被害の脅威をありのままに残す市立荒浜小学校の校舎を震災遺構として整備し一般公開した。他にも防災フォーラムの開催、出張講演会、小中学校での防災教育推進など伝承の活動は多岐にわたる。
 さらに発災から復興計画期間終了まで5年間の活動を約800ページの「仙台市復興五年記録誌」にまとめた。被災時、神戸市から送られてきた記録誌が復興活動に大変役立った。次は自分たちの番。同様の媒体を作成し、日本全国の自治体に送付した。もちろん熊本にも。
 人知の及ばない自然からの脅威。だが経験や教訓の伝承は、そこからの被害を大きく抑えてくれる。

津波の脅威をそのままの形で将来に伝えるため
荒浜小学校は震災遺構として整備され一般公開されている。

こぼれ話

平成30年7月豪雨の被災者のみなさまへお見舞い申し上げます。
この報道の中にもあった「うちは大丈夫だから」という判断が多くの犠牲者を出したとも言われています。東日本大震災でも同様のことが起きました。「避難してもまた戻らないといけないから」。自然は人間の想定を超えてきます。仙台市が「伝承と発信」に力を入れていることが理解できました。そして、復興への手順が確実に早くなっていることも感じることができてきました。その障害になることは各地で異なるとはいえ、何から整備して、何が必要なのかなど、共通項は多いと感じました。大阪北部、九州北部、熊本など全国に復興地区が増えていくことへの懸念はあるが、その経験を「伝承し発信」することが、防災・減災への意識の高まりにつながると考えます。

関連記事一覧