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  • 東日本大震災から復興への歩みをみせる被災地の企業や日本テクノの取り組み

市全体の復興は半ばでも営業再開に光明 Scene 50

水害、コロナの二重苦でも奮励

店を運営する株式会社りーな21の
社長田中裕二さん。


 令和2年7月球磨川流域豪雨で市内の広範囲に被害を受けた熊本県人吉市。水害の爪痕は1年半後の今も残っており、ビニールシートが掛けられたままの家屋や、取り壊し途中の建物が見受けられる。完全な復興にはもう少し時間が必要だ。
 そんな中、株式会社りーな21の運営する土産物店「人吉温泉物産館」が2021年10月1日、被災からの再出発を果たした。隣接する青井阿蘇神社(国宝)の参拝客、人吉温泉を訪れる観光客、そして地元住民にも愛されてきた店。コロナ禍で資材や人材が不足し、当初予定より3カ月ほど遅れた1年3カ月ぶりの営業再開だった。
 改修した店内では球磨焼酎の取り扱いスペースを拡大した。社長の田中裕二さんが、地元27の酒蔵から自らの舌で厳選した球磨焼酎を揃えている。心を込めた手づくりパンの店舗も新たにオープンさせた。思い切った業態の変更が地域のニーズにマッチし、館内には利用客が絶えず訪れる。近隣の店舗からも「人の流れが戻ってきた」と歓迎された。
 だが、ここにたどり着くまでの道のりは生易しいものではなかった。豪雨による球磨川の氾濫を受けて床上1mまで浸水。商品をはじめ冷蔵ケースなどの設備も泥水に沈んだ。大型バスも停められる駐車場は、水流でアスファルトが剝がされ、流されてきた汚泥で埋まっていった。被害総額は約1億円に上った。受けた認定は「半壊」。商工会などからの補助金を受けながらの再建だった。
 「ボランティアの皆さんがいなければ復旧にはもっと時間がかかっただろう」と田中さんは振り返る。そのボランティアも、田中さんの人脈で九州一円から志願があったが、一方で「感染症対策の観点からボランティアは熊本県内からに限る」というコロナ禍の事情があり、当初は手伝いに来てもらうことも難しかった。なかなか復興の進まない一般家屋があちこちに見られた。
 泥のかき出し、館内の清掃、消毒、乾燥を終えてからの改修工事だった。営業再開した店内でインタビューに応じた田中さんは、「まずは、ひと段落」と、ほっと息をついているようだった。
 営業再開で光明は見えた。しかしそれがゴールとは考えていない。自分たちは店を取り戻したが、周囲を眺めれば道半ば。青井阿蘇神社の復興には2年、人吉市全体でいえば少なくとも5年はかかるだろうと田中さんは見ている。かつてSLが走った歴史ある肥薩線も運休が続き、復旧のめどは立っていない。新型コロナウイルス感染症の影響で観光業もダメージを受けたままだ。
 ともすれば暗くなりがちな中、田中さんは前を向く。人吉温泉物産館の営業のかたわら、「シニアエグゼクティブブレンダー」として球磨焼酎のプロデュースに心血を注ぎ、オリジナルブランド「人吉」の名を日本中、そして世界中に広めるべく東奔西走している。名産品である焼酎を盛り上げることが、地元人吉を復興させることにつながる。水害と新型コロナの二重苦にも負けずに奮励し続けた田中さんの力強いまなざしは、未来に向けられていた。

改修を終え1年3カ月ぶりに営業を再開した土産物店
「人吉温泉物産館」の店内。

こぼれ話

市の中心部を東西に流れる球磨川。今回の豪雨では主に北側の地域の被害が深刻だったそうです。人吉温泉物産館のほか、肥薩線も北側に位置します。災害前は鉄道ファンが訪れたり、映画のロケ地になったりと盛り上がっていたとのこと。まださみしさの残る市内の風景ですが、人吉温泉物産館の元気な看板とのぼりが周囲に活力と勇気を与えているように感じられました。
取材後はお隣の青井阿蘇神社にお参りへ。神社正面の趣ある橋の欄干が大破してしまっていたので、当時の状況を神主さんに伺ったところ、何台もの車両が流れてきてぶつかり壊れてしまったそうです。庭園も浸水してしまったので休園中で見学できず、残念でした。せめてもと思い、御朱印をいただき初穂料をお納めしてきました。
山奥の素敵な温泉地が一刻も早く元の姿を取り戻せるよう、心よりお祈り申し上げます。

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