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  • 東日本大震災から復興への歩みをみせる被災地の企業や日本テクノの取り組み

この土地でやり続けたいScene 27

 福島第一原子力発電所から22キロメートルの南相馬市原町区でアミューズメント機器や家電製品の電子基板を製造するウツミ電気株式会社。
 東日本大震災の地震発生後、当時40名いた社員は屋外へ避難した。隣の民家の屋根から瓦が落ちていく様子に、ことの重大さを知る。工場内の製造機械もずれていたため、その日は作業を中断し、全員帰宅した。
 翌日の土曜日に管理職が出勤し、ずれを直し、月曜の朝から製造を開始した。だが原発事故による避難指示で、再び全社員が帰宅。その後は避難区域の拡大や変更など混乱する情勢の中で社員がどこに避難したのかも把握しきれなくなった。
 これでは生産活動はできない。それでも会社として約束した納期だけは守ろうと考え、同業者へ仕様書を提供し、納期に間に合うように製造を依頼。もちろん発注元への了承もとった。「その作業を3日間でやりきると同時に、いったん会社を閉めることにしたんです。管理職4名以外は全員を解雇というかたちにし、連絡のつく社員にはすぐに手続きに入ってもらい、失業保険が支給されるようにしたんです」と製造部長の池田孝信さんは振り返る。

製造部長の池田孝信さん


 今後、会社をどうするか。難しい判断を迫られる中、取引先から「戻れるなら、戻ってほしい」と強い要請を受ける。これまで培った信頼と震災後の速やかで誠実な対応を評価した温かな声援だった。

生産量は半分でも付加価値で超越

 震災発生から3週間後、そうした周囲の後押しを無下にしてはならないと事業再開に踏み切った。少しずつでも生産を始める。連絡のつく元社員を失業保険支給の直前に5名集めた。クリーンルームで製造する電子基板だが、しっかりと放射線量を計り、安全を確認して、出荷し始めた。事業再開の決断は多くの取引先から受ける応援の言葉と、この土地でやり続けたいという社長はじめ残された全員の強い意志によって導かれたものだった。
 今、周辺では給与待遇のよい除染作業があるため、思うように人材が集まらない。それでも、補助金を利用した積極的な設備投資や自社製品の開発(LED照明、チップ状に成形した「はんだ」など)にも力を入れ、自前の技術に付加価値を加える努力を惜しまない。
 震災前に40名いた社員は現在27名。生産量は約半分になっているが、挑戦心は震災前の何倍にも膨れ上がっている。

こぼれ話

 国道6号線は開通しているが、その両側は危険区域となっており、人は住んでいない。警察官と除染作業従事者しかいない街。福島第一原子力発電所の廃炉作業から寄宿舎に帰る車の渋滞。当時のままで閉鎖された数々の店舗。バリケードがいたるところにあり、津波に襲われた当時のままの家。田んぼには除染された土を入れた袋の山。誰もいない家の庭に咲く梅。郡山から現地までの風景が問いかけるもの。

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