地元との「支え合い」が原動力 Scene 59
災禍を越え、新たな出発
宮城県石巻市を中心に5店舗のスーパーマーケットを運営する株式会社あいのや。沿岸部に位置する店舗が多く、東日本大震災当時、展開していた8店舗のうち5店舗が被災した。特に被害の大きかった門脇店と鹿妻店の2店舗は全壊。閉店を余儀なくされた。
2011年3月11日の午前中、業務監査室の朝田規さんは仙台市内で会議に参加していた。石巻港から2kmほど内陸に位置する本社・配送センターに戻ったのは午後。遅い昼食を取り一息ついたところを揺れが襲った。床上60cmまで津波が押し寄せたが本社では幸い人的被害はなかった。
「自然の地形による影響はもちろん、建物や道路の状況によって、同じエリアでも津波の被害はまったく異なりました。こちらの店はまったくの無傷でも、その数軒先の民家は土台ごと流されていました。本社のそばには伊達政宗の時代につくられた貞山堀という水路があり、そのおかげである程度は水の流れが緩和されたため、私たちは無事で済みました」
加えて本社と海岸の間に造船所など大きな建造物があったのも津波の勢いを弱めたと考えられる。水路より海側の区画では多くの被害が出て助けられなかった命も多い。同社でも従業員5名の尊い命が失われた。
一時的な避難の後、本社のほか各店舗からは食べられるもの、使えるものを積極的に支援物資に回し、避難所などへ運んだ。「商売を何十年も続けてこられたのは地元のお客様の支えがあったから。困っている人たちに物資を差し出さないという考えは浮かびもしませんでした」。
震災から1週間ほどのちに出勤可能な社員が総出で1店舗ずつ片づけと復旧を進めた。スーパーマーケットは地域住民のライフライン。一刻も早く元の暮らしに戻したかった。電気が止まったため、しばらくはすべて人力の作業だった。多くの設備が修理不能で入れ替えが必要だったが、泥を落とせば使えそうな設備は高圧洗浄機でひたすら掃除した。取引先や店舗周辺の住民からの支援が心の支えで、それが原動力にもなった。
3ヵ月後、まずは大街道店の営業再開。続いて7月に渡波店、10月に中里店が店を開けた。発災からわずか半年余りで全壊店舗以外のすべての店舗で再スタートできた。地元住民はもちろん、復興工事に当たる作業員からも「現地でお弁当が調達できてありがたい」と喜ばれた。
全壊した門脇店の跡地周辺は現在、公園として整備されている。同じく鹿妻店の地域は区画整理が行われた。同社は新しい用地を割り当てられ2017年、石巻のぞみ野店を出店した。
震災後に石巻市と「災害時には積極的に食料を提供する」という内容の提携を結んだ。当時の物資の支援は自発的な行いだったが、こうした取り決めで体系化されれば地元住民にとって心強い備えになるだろう。
朝田さんのつけるエプロンには「おいしさに、本気です」と書かれていた。東北地方では周期的に地震が発生し防災が常に意識されるが、石巻市内はいまや「スーパー激戦区」といえるほど活気を取り戻した。平時はもちろん非常時であっても変わらぬ「おいしさ」で地元の生活を支える存在であり続ける。
こぼれ話
消費者目線を大事にするあいのやさん。震災当時、各地の小売店の一部で物資を自社の従業員だけで分けたり、売価を上げたりする動きが残念ながら見られたといいます。しかし同社ではそういった行為は一切行わず、まだ食べられるもの、使えるものを積極的に支援物資に回しました。地元とともに、という姿勢が色濃く映し出されたエピソードだなあと感じました。
取材後は石巻のぞみ野店さんでお買い物!お寿司コーナーでスーパーマーケットとは思えないテリつやのお寿司詰め合わせが売っていて、つい手が伸びる…。帰りの新幹線車内でいただきましたが、ネタが新鮮なおかげかおいしさ抜群でした。味付肉も買って帰り、翌日は焼肉を楽しみました。こちらもたまらないおいしさ!次回石巻方面に行くときには、保冷剤と保冷バッグを引っ提げて伺います!
社交的な皮をかぶった人見知りなので、取材のときはいつもドキドキしています。
話し手さんがついぽろっと本音を話してしまうようなインタビューをめざしています!
エネルギー分野、特に次世代の燃料や発電・蓄電技術に興味津々です。
好きな食べ物:生牡蠣(あたっても食べ続けています)。
趣味:オンラインゲーム(休日はもっぱら、光の〇士としてエオ〇ゼアを旅しています)。