差別をしないこころ
行き過ぎかどうか振り返って考える
これまで2回にわたりハラスメントを防ぐこころのあり方を見てきました。今回はそのハラスメントと密接に関連する「差別」について考えていきます。社会生活を送るうえで他者との関わりは必要不可欠です。職場はもちろん電車内や街中でも何らかの関わりがあります。そこでは頭の中でさまざまな思考が巡っています。例えば前回触れた「ステレオタイプ」は、外見や出身地などの情報から典型的で固定化されたイメージを生みます。それは「こころのフィルター」の一種で、生きるための大切な働きである一方、行き過ぎは危険だと紹介しました。「自分のものさし」も同じこころのフィルターで「普通は○○」「○○ならこうするはず」などの思い込みのこと。それが行き過ぎると、その思い込みに当てはまらない事柄や人物、集団に対し否定的な印象が生まれ、差別につながってしまいます。
また、自分が所属する集団への強い帰属意識から、他の集団や人物に対して悪意を向けてしまうこともあります。表面的な気持ちとしては、所属集団を守る、メンバー間の結束を強める、仲間に好意的に見られたいなどの思いがあり、実際に集団の強化やチーム間での競争に役立ったりもします。しかしこれも「こころのフィルター」と同様、行き過ぎは差別につながります。
職場の場合、所属集団を意識した行動を求められる場面が多いかもしれません。ですが、集団の価値観から外れた人に対して拒否的な態度、攻撃的な態度をとれば、容易に差別やハラスメントに発展していきます。
その危うさを避けるために必要なのは、適宜、自分自身の言動を振り返ることです。特定の誰かや集団に対して、拒否的もしくは攻撃的な態度を示していないかどうかを考える。同時に自分の言動を受ける相手の「受け止め方」も推察する。自分は肯定できても相手にとっては受け入れ難い事柄なのかもしれません。そうした振り返りが、思い込みや帰属意識の行き過ぎを食い止め、差別をしないこころをつくっていくのです。
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