さようなら
アメリカの作家アン・モロー・リンドバーグは『翼よ、北に』という著書の中で、日本語の「さようなら」について著述しています。この本は夫(飛行家のチャールズ・リンドバーグ)とともに行った調査飛行の体験記。日本も経由地の1つで、その離日の際に聞いた「さようなら」が彼女の心をとらえました。もともとの意味を「左様なことであれば、いたしかたなし」と教えられ、何と美しい諦観だと感じ入ったようです。
その帰国後、思わぬ悲劇が彼女を襲います。幼い長男が誘拐され、殺害されてしまうのです。深い喪失感、理不尽さへの憤慨、悔恨の念……そうした耐えがたい現実を乗り越える糸口が、日本の別れの言葉「さようなら」だったといいます。
このような悲惨な出来事を引くまでもなく、世の中は自らの努力ではどうにもならないことばかりです。その典型が「生老病死」。生きる、歳をとる、病気をする、死ぬ。自分だけでなく、大切な家族、親族、友人の生老病死は、常に重い課題として人生の至る所で直面します。そしてその都度、心構え、身の処し方でそれらに臨むのか試されています。
『翼よ、北に』の著者は、長い苦悩の果て、やっと「さようなら」の示す場所にたどり着きましす。過去を受け入れ、「左様なことであれば、いたしかたなし」の心を持てるようになる。小さく大きな悟りの境地に立てたのです。道しるべは日本人が何気なく使う別れの言葉。私たちが生老病死のつらい場面に向かうとき、彼女のように「さようなら」が心の支えになってくれるでしょうか。
これまで、つれづれにしたためた駄文を旅先から送ってきました。ここらで私も、悟りの境地に立てるよう心を磨く修行に専念するのがよいと感じました。いつでも笑顔で「さようなら」を言えるように。
エッセイの作者、いっさんは、テクノ家おばあちゃんの友人。実は「いっさんのちょっといい話」は、旅行好きないっさんが旅先からおばあちゃん宛に送った趣味の随筆の一部なんです。