「たまやー」「かぎやー」浮世絵にも描かれた夏の風物詩

夏といえば花火大会。ごう音とともに夜空を美しく照らす光に心が躍るという人も多いだろう。戦国時代に鉄砲とともに日本に伝来した火薬とその技術は、戦のない平和な江戸の時代には娯楽として発展した。今回は江戸時代の花火について紹介する。
江戸
現代でも家庭で手持ち花火を楽しむように、当時から「手ぼたん」「ねずみ花火」といった庭花火と呼ばれる小型花火はあった。しかし家屋が密集し乾燥した風が吹く江戸の街では火事の元となる花火は大敵。流行する度に幕府から禁止令が出ていたようだ。
隅田川花火大会は1733年、8代将軍・徳川吉宗の時代に、疫病や飢餓で亡くなった人々を弔うため催された水神祭の余興として花火を打ち上げたのが由来。それが日本最古の花火大会だと記録に残る。
当時の花火は「和火」と呼ばれ、硝石、硫黄、木炭を原料としたオレンジ色に近い素朴な色合い。花火大会ではこれを数十発打ち上げ、1発1発の間隔は45分程になることもあった。
やがて商人が客寄せのために出資し、規模が大きくなっていく。見物客も増えていき、花火は浮世絵にも描かれる夏の風物詩となった。
そこで活躍した花火師の屋号が「鍵屋」とその分家の「玉屋」。両国橋を隔てて上流側を担当する玉屋と下流側の鍵屋で交互に打ち上げ技術力を競い合った。「たまやー」「かぎやー」の掛け声はその屋号から来ている。
現代
近代になると金属元素の炎色反応を利用した赤、青、緑といった色とりどりの花火がつくられるようになる。火薬の燃焼時間なども計算され、大きさや模様の細かさも進化した。
それを大規模な花火大会では一晩で数万発も打ち上げる。音楽と合わせた秒単位での点火コントロールもできるようになっている。煙や落ちる破片など環境負荷を懸念する声もあるが、日本の花火は古来、和紙やもみ殻、綿の実など自然にあるものを使用していた。近年では水に溶けやすくより自然分解されやすい原料の開発が進んでいる。
花火大会につく「大会」の語は、国民スポーツ大会や各種競技大会などにあるように「競う」のイメージを持つ。江戸では鍵屋と玉屋が競り合った。今も花火師たちが技術力を競うコンテストとしての側面がある。戦国の世から移った江戸は武力の競い合いから人々を楽しませる力の比べ合いに世の中をシフトさせた。そうした先祖の賢さを思いながら今年の花火大会を楽しんでみたい。



























































