天水桶、火の見櫓、町火消し、用心土……江戸の防火・防災

木造家屋が密集していて一度火事が発生すると炎が燃え広がるのが早いため「火事と喧嘩は江戸の華」といわれるほど火災が頻繁に発生していた江戸の町。今ほど科学技術は発達していない時代、人々は暮らしの中にどんな防火・防災の工夫を取り入れていたのだろうか。
江戸
何度も火災に見舞われた江戸の町は時代を追うごとに防火・防災の工夫が施されていった。例えば暮らしに欠かせない炊事は最も身近な火元。かまどの周りは常に整え、火の始末を徹底した。就寝時には必ず火元を確認するといった習慣が根づいていた。
夜間には火の用心のための見まわりをし、店先には雨水をため防火水槽にする天水桶を置き、火災を早期発見するための火の見櫓を設置した。板ぶき屋根から燃えにくい瓦屋根への変更を推奨するなど目安箱の意見も取り入れ防災都市としての歩みを進めていった。
1718年頃になると城や武家を守る火消しとは別に、とび職人を中心に構成された町火消しが組織されるようになる。有名な「いろは48組」や本所深川にも16組の町火消しが活躍した。当時の消火活動の基本は延焼を止めること。家屋を取り壊して燃え広がらないようにする破壊消火が主流だった。
火事が発生してしまったときは貴重品を守ることも大切になる。商家では厚い土壁と不燃性の高い漆喰を何重にも塗り重ねた土蔵をつくった。火の手が迫ると商品や財産をその中に避難させ、用心土と呼ばれる練り土で扉や窓の隙間をふさぎ、火の粉や熱気が入らないようにした。隙間を埋める用心土は普段からかき混ぜて柔らかい状態を保ち、いつでも塗り込めるよう備えていた。
やがて火事が収まったあとは焼け残った廃材が家庭の炊事や銭湯で燃料代わりに使われる。更地になった場所には区画整備で防火用空き地などもつくられ、火災のたび町は生まれ変わった。
現代
現代では、早期発見のための火災報知器、初期消火に役立つ消火器、防火基準が規定された建築資材、火を使わない電化製品など、火災を発生させにくい、発生しても大火事にさせないための技術が大きく進化した。
だがそれと同時に地域住民のつながりが弱くなっていることも多く、火災発生時の初動や避難が遅れる恐れもある。江戸の人々が日々の暮らしの中で火災に備えたように、私たちも暮らしを守るために知恵を絞りながら江戸時代から引き継がれる防火・防災の意識を持ち続けたい。




























































