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  • 東日本大震災から復興への歩みをみせる被災地の企業や日本テクノの取り組み

復旧ーー引き継ぐ次代のためにScene 40

壁や屋根が飛びサイロは倒壊

2018年9月の台風21号は、大阪中心部を直撃した。大阪市住之江区にある株式会社小山製材所も激しい被害を受けた。2代目の社長で現在顧問の小山恵弘さんは、そのとき事務所にいた。「風の音はビュービューではなく、ゴーッやドーンでした。風に飛ばされた屋根のスレートが窓を割り、命の危険を感じ応接室に逃げ込んで、通り過ぎるのを待ちました」。
当日の朝、気象情報をもとに従業員には12時で帰宅するよう指示した。ほとんどが会社を出たあと急激に風が強くなり、取り残された。南側は風を遮るものが何もなく、強風が直接工場に当たる。70メートル×40メートルの工場建屋が大きく揺れる。高さ5メートルある集塵用サイロが高圧電線を切断して道路に落ちた。風をまともに受けた南側の壁と屋根は吹き飛ばされ、支える鉄骨もねじ曲げられた。


報告書に残した台風による被災直後の様子。壁や屋根が飛ばされ、サイロは倒れている

台風一過。翌日から知り合いに協力を依頼しながら復旧作業を進めた。スレートの処分、集塵用サイロの撤去、高所配管工事、屋根の修復……。なんとか機械が動くようになったのは2019年1月。完全復旧は、3月に入ってからだった。
創業者である父親の事業を継いだ小山さん。これまで北米の丸太輸出禁止などを受けて同業者の廃業が相次いでも製材事業から手を引かず乗り越えてきた。「今まで従業員とその家族を守る義務感で、この仕事をやり続けてきました。その延長線上に今がある。だから今回も、工場を復旧させることしか考えなかった」と元通りの仕事場を取り戻す作業に全力を傾けた。自分の跡を引き継ぐ次代の息子らも事業の発展に協力を惜しまぬ姿勢を見せている。


復旧した現在の工場内

顧問の小山恵弘さん

「復旧の費用に関しては、多くは保険が対応してくれました。それでもすべては賄えず、借金をして用立てた部分もかなりあります。この事業を、この工場を、きちんとした形で、次に引き継ぎたいと思うからです」と毎日12時間は社内で執務する77歳の小山さんはほほ笑む。
「地球温暖化で災害の頻度は増える。何が起こってもいいように、対策はシミュレーションしておけ。命さえあれば、何でもできる」と従業員に言い続けている。

こぼれ話

命の危険を感じて逃げ込んだ応接室には、顧問の祖父の銅像や古い半被があった。京都の材木屋で日本の製材業の父と呼ばれた方と聞いた。京都嵐山の渡月橋付近に材木が集まっている古い写真や大正時代の帳簿なども見せていただいた。四人の息子をこれからは大阪で商売をしろと、独立をさせ、大阪の材木業界を引っ張ってきた。「同じ木材はないから、一本一本を見極め大切に加工していく」と木に対しての深い愛情を感じる言葉と、古いものを大切にしながらも、新しいことに挑戦し続ける小山顧問が力強さとすべてを守る優しさを持つ大樹に見えた取材でした。

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