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  • 東日本大震災から復興への歩みをみせる被災地の企業や日本テクノの取り組み

危機的状況だからこそ前を向き進むScene 46

被災当事者ながらも満身の支援活動

熊本県の人吉・球磨の地域ブランドである球磨焼酎は、壱岐、薩摩、琉球と並び、日本で4つしかない産地呼称を認められた焼酎である。この地域は豊かな自然と清らかな水に恵まれた場所だが、急流の球磨川がしばしば洪水を引き起こし、人々の暮らしは災害と隣り合わせだった。
各地に被害をもたらした令和2年7月豪雨では、7月4日に球磨川が氾濫し、大きな爪痕を残している。創業120年の歴史を持つ人吉市の高橋酒造株式会社でも、従業員の保養施設や保管倉庫、社員の自宅などが被災した。浸水してしまった約3万本の商品は廃棄処分された。
「それでも当社は生産ラインにダメージがなく、被害は軽微な方でした。人吉・球磨には、27の酒蔵があります。うち8つの蔵は被害が大きく、その中の3つは酒造設備全壊という状況です。当社では、豪雨の翌日から各部署の社員が交代で、周辺の蔵元への支援を中心に復旧のボランティア活動を始めました」(同社お客様創造本部長の久保田一博さん)
同社の動きは早かった。雨が収まった5日以降は貯水タンクを活用し、周辺住民への給水活動を行ったのをはじめ、衣類、軍手、靴、スコップなど、地域内外のネットワークを活用して支援物資をかき集め、住民の元に届けた。また、災害ごみをトラックで回収し、集積所へ運ぶなど、市民が日常生活に戻る手助けも行っている。

 

「総力を結集してこの苦難に打ち勝ちます」と声を上げる高橋酒造の社員。

 

7月22日には7000万円の義援金を熊本県に贈呈。さらに球磨焼酎支援プロジェクトのサイトを立ち上げ、「飲んで」「買って」「寄付して」の3種の応援方法を示して支援を募るなど現在も活動を続けている。
「突然の豪雨で人吉・球磨の美しい風景は変わり果てました。私たちの焼酎を消費してくださる旅館や飲食店、そして仲間の酒蔵も甚大な被害を受けたうえに、今は新型コロナウイルス感染症の流行にも苦しんでいます。しかし私たちはそんなものに負けたくないのです。危機的状況だからこそ、焼酎づくりの仲間や人吉に住む皆さんと前を向き、希望を持って進んでいきます」(久保田さん)
被災前よりも魅力のある街・人吉に生まれ変わろう、さらに「美味しい」と喜んでもらえる球磨焼酎へと進化していこう。そんな思いが原動力となり、高橋酒造は今日も焼酎づくりに励んでいる。
「新型コロナウイルスの影響で売上の戻りは鈍く、被災前の2割程度。社員も交代で勤務しているような状況です。しかし、その社員も復活の日を信じてついてきてくれています。そうした社員の思いに応えたいですし、いま必死になって頑張ることは被災直後に助けてくださった皆さんへの恩返しにもつながると思っています。まずは被災前の売上水準に戻すべく、奮闘を続けます」。
新型コロナウイルスの流行により、依然として状況は流動的だが、工場設備などの環境が整った今、大塚さんの再起に向けた決意は揺らがない。
「新型コロナウイルスの影響で売上の戻りは鈍く、被災前の2割程度。社員も交代で勤務しているような状況です。しかし、その社員も復活の日を信じてついてきてくれています。そうした社員の思いに応えたいですし、いま必死になって頑張ることは被災直後に助けてくださった皆さんへの恩返しにもつながると思っています。まずは被災前の売上水準に戻すべく、奮闘を続けます」。
新型コロナウイルスの流行により、依然として状況は流動的だが、工場設備などの環境が整った今、大塚さんの再起に向けた決意は揺らがない。

球磨焼酎支援プロジェクトサイトはこちら

こぼれ話

新型コロナウイルス感染症の影響で、現地に行かず、電話でお客様創造本部長の久保田一博さんにお話を伺いました。ちなみに久保田さんは東京熊本県人会にも所属されており、会員の皆さんに被災状況を説明する資料を自作されていたため、被災状況や支援の詳細がかなり明確に把握されており、電話取材が非常にスムーズでした。
高橋酒造は球磨焼酎の酒蔵の中ではもっとも歴史が古く、リーダー的な存在であることから、「球磨焼酎支援プロジェクト」を立ち上げたという経緯があります。また、地元の酒蔵だけでなく、自分たちの焼酎を仕入れてくださる酒屋、飲食店、旅館にも被害が多く、このまま滅ぼしてはいけないという強い思いで7000万円もの義援金を熊本県に寄贈したとお話されていました。

令和2年7月豪雨で被災された方の中には、いまだ避難所暮らしを続けている方がいらっしゃいます。被災された皆さんが一日も早く平和な暮らしを取り戻されるよう、心よりお祈りします。

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